クロガネ・ジェネシス
感想はこちらにお願いします→雑談掲示板
第ニ章 アルテノス蹂 躙
第２６話
地獄の始まり
クロウギーンによってアルテノスの町並みが襲われている。この状況は普通の人間からしてみれば異常事態に他ならない。
誰もがなぜ？ と問い、
誰もが怒りを燃やし、
誰もが自らの不幸を呪う。
民間人だけではない。クロウギーンを掃討する騎士達の中には運悪く傷を負い、最悪殺されてしまった者もいるだろう。
そんな中にあって、この状況を楽しんでいる者がいた。
逃げまどう人々。時に肉をついばまれ、悲鳴を上げて絶命するもの。その中には幾人かの亜人の姿も見受けられる。そんな彼らを見ても、何とも思わず、むしろ心地よさすら感じている。
「いい光景だな……」
そう口を開いたのは、テンガロンハットを被り、包帯でマスクをしている男、ラーグだった。
人間の悲鳴。彼にとってそれはある種の旋律と同じだ。悲鳴や絶叫なんて普通の人間からしてみれば不快極まる不協和音でしかない。
しかし、彼にとっては違う。
そして、人間の悲鳴を聞くために、彼もまた人間狩りに参加しようとしていた。
「じゃあ……そろそろ俺も暴れるとするか。クックックックッ……」
ラーグは不気味に笑う。そして自身の後頭部に手をやり、マスク代わりにしていた包帯をほどく。その包帯は濡れており、風に揺れることなくバサリとラーグの肩口に落ちた。
その包帯を適当にコートの中に入れる。
包帯を取ったラーグの口からは、煙があがっていた。肺の空気を吐き出す度に、白い煙がたばこの用に吹き出ている。彼が口元にマスクをしていた理由はこれだ。
こうでもしなければいくら変身魔術を使っても意味がない。口から煙を吐き散らすだけで人外の何かであることがわかるのだから。
口元からでているのは、煙だけではない。彼の口内からは度々赤く揺らめく炎が見え隠れしている。
この特徴は火山地帯にのみ生息する火山龍《ヴォルケイス・ドラゴン》という種の特徴だ。
どの竜《ドラゴン》の唾液にも、酸素と結合すると炎に変化する特殊な成分が含まれている。しかし、その成分の含有量は常に口から炎を発するほどの量ではない。通常の竜《ドラゴン》はその含有量をセーブできる。つまり口から炎を吐き出すか否かをコントロールできるわけだ。
また火山龍《ヴォルケイス・ドラゴン》の体内には、その成分を大量に生成する器官が備わっている。口から炎を吐く竜《ドラゴン》と言えば真っ先にこの竜《ドラゴン》がやり玉に挙げられるのだ。
食事も肉食が多い他の竜《ドラゴン》とは異なり、火山灰や、溶岩が固まってできた土を食料とする。
故に他の種類の竜《ドラゴン》と交わって行動することはなく、火山竜《ヴォルケイス・ドラゴン》だけの群を形成し、火山地帯近郊にのみ生息する。
そう、ラーグは火山竜《ヴォルケイス・ドラゴン》の総統龍《フューラー・ドラゴン》、火山総統龍《ヴォルケイス・フューラー・ドラゴン》の亜人なのだ。
ラーグは胸一杯に空気を吸い込む。それだけで彼の口内で炎が燻《くすぶ》り、黒煙が覗く。
肺一杯に満たされた空気を口を閉じることで封じ込める。そして適当な民家をターゲットにし、それに向かって空気を"発射≠ｵた。
吐き出された空気は空気の大砲となり、彼の唾液と結合した空気は一瞬にして炎と化す。それはまさに大砲だった。
レンガ作りの家は、その壁に巨大な穴を作り、その内部はたちまち衝撃と炎に包まれた。その直後に聞こえてきたのは悲鳴。彼が破壊した家には、人がいたのだ。
クロウギーンの襲撃で逃げまどう人間はたくさんいるが、家に籠城《ろうじょう》し、家と家族を守ろうとした人間もいたのだ。
生きているか死んでいるかはわからない。ただ、ラーグにとって重要なのは人間が苦しむという事柄以外にない。無論死んでいればなおよし。
それはまさに殺人嗜好。殺すことを嗜好する残忍極まりない精神。それがラーグという人物だった。
「クックククククク……たぁのしいねぇ……」
人間は滅べばいい。それが彼が生まれてきた時から言われ続けてきたこと。そのために、彼の父は亜人の子供を作った。
彼の兄であるゴード、姉であるレジーも同じ意見だった。
人間に変身する術《すべ》を知らなかった頃、彼らは人間から迫害されて生きてきた。そのことも手伝って、彼ら兄弟の結束は強く、人間に対する憎しみばかりが募っていった。
「さて、久しぶりに人間の腕でも食うとするか」
ラーグは食事をお預けにされていた子供の様に笑みを浮かべた。
炎の海と化した家。その炎が"暑い≠ﾆ感じることはあっても、"熱い≠ﾆ感じることはない。そもそも炎の熱など、彼にとってはぬるま湯ほどの熱さでしかない。
燃え盛る家屋。その中に、全身が焼けただれて、かろうじて生きている人間が２人。性別は判別不能。僅かに動いているがじきに死ぬだろう。そしてラーグの"砲撃≠ﾅ四肢がバラバラに弾け飛び、臓物をぶちまけられた人間の死体が１つ。
ラーグは四肢がバラバラになった人間の腕を拾い上げた。それを口元まで持っていく。そして、骨付き肉《スペアリブ》をかじるかのような自然さでその腕に食らいついた。その肉を皮ごと引きちぎり、咀嚼《そしゃく》する。
人間の血は豚や牛の血よりも生臭い。その理由は人間が雑食だからだとラーグは思っている。肉も魚も野菜も、時には昆虫さえも食料とする人間の肉の味は複雑で、その食生活いかんによってその味は変動する。
今回ラーグが口にした人間の肉は生臭さが少なく、さっぱりしていた。ラーグの好みの味だった。
咀嚼し終えて、ラーグは満足げにその家をでた。その腕の肉は今夜の食事だ。
「あ〜美味い美味い……」
満足げに口元を歪めるラーグ。次はどこを攻撃するかを考えつつ、彼は燃え盛る家を後にした。
黒スーツを身にまとう少年ダリアは両手に剣を持っていた。彼は人間を敵視しながら、人間の文化に興味を持った数少ない亜人だった。
といっても好意的な意味でではない。いかに自分が人間を殺す技術を体得できるかを考えてのことだった。
亜人である以上、ダリアにも人を超越した身体能力がある。しかし、亜人の姿ではせいぜい腕を引きちぎったり、爪で喉元を斬り裂くのがせいぜいだった。だから、彼はもっとスマートに、かつ効率よく人間を殺す技術を身につけたいと思っていた。
そして、彼は人間の文化を学び、そして知った。
剣術という、人間を殺傷する技術を。
今ダリアの両手には、トゥ・ハンド・ソードが握られている。２メートル近くある巨大な両手剣。そんなものを片手で、しかも二刀流で扱うことなど人間には不可能だ。
そして、彼の周囲には、頭部をかち割られ、銅を両断され、血を流し、臓物をまき散らす人間達の死体が大量に横たわっていた。が、その中には亜人も含まれていた。
しかし、彼は気にしない。人間と共に生きる道を選んだ亜人などに興味はない。
レジーは亜人は邪魔になった場合だけ殺せと言っていたが、それでは面倒くさい。たまたま殺さなかった亜人なら見逃してあげてもいいかな、というくらいだ。
彼にとっては人間側に寝返った亜人はもう人間と同じだった。彼もラーグ同様幼い頃から人間を絶対悪と信じて疑わなかった。
生まれるのがもっとも遅かった彼は、ゴードやレジーが経験した人間からの迫害を知らない。しかし、彼らへの思いは大事にしていた。
彼らには母親はいなかった。生まれてすぐレジー達が引き取り彼を育てた。彼にとって兄弟、特にレジーはこの世の中でもっとも愛すべき姉だった。
血が繋がっていながら彼はレジーを愛した。その姉を過去迫害した人間達は、彼にとっても忌むべき存在となっていた。
別に人間に恨みがあるわけじゃない。憎んでいるわけでもない。ただレジーが憎むなら自分も憎むというだけのことだった。
だから彼は人間を殺す。愛する姉が憎む人間達を殺す。
「さて、もっとたくさん人間がいる所はないかな……っと」
ダリアは人間にはあり得ない跳躍力で、民家の屋根に登った。すると、どこからか黒煙が立ち上るのが目に入った。
「ラーグ兄さんやってるね……。僕も負けてられないかな？」
彼は２本のトゥ・ハンド・ソードを手に、走り出す。屋根から屋根へ。より人間の悲鳴が聞こえる所へ。
人間の数は凄まじく多い。彼が人間狩りを始めた周囲にはいくつかの人間の死体が転がっているが、人間狩りを始めると、彼が暴れている周囲から人間はいなくなり、近寄らなくなってしまう。
だが、人間の悲鳴は常に耳に入っている。お楽しみはいくらでも残っているのだ。
走りながら早速彼は見つけた。クロウギーンから逃げまどっている人間達の姿を。
ダリアは凄まじい早さで屋根から屋根へ飛び、跳躍する。その姿はまるで猫のようだ。
ダリアの頬が風を受ける。彼はその風が大好きだった。速く走れば走るほど、耳の機能は意味をなさなくなり、視野が狭くなるのが普通だ。
しかし、彼の場合、どれだけ風を感じようとも関係ない。走りながらにして五感は正常に働く。それどころか、耳と目に限ってはさらに鋭敏になる。
屋根から屋根への跳躍。そうして彼が向かっている先には、人間を襲っているクロウギーンがいた。
そのクロウギーンはどこにでもいる青年をクチバシでつつき、攻撃している。
ダリアはそのクロウギーンに接近する。そして、その首を、落下のエネルギーを利用しつつ、跳ねた。
石畳の上に着地するダリア。足に強烈な圧力がかかるが、亜人である彼には人間ほどの痛みは感じていなかった。
クロウギーンの体は首が跳ね飛ばされたことであっさりと地面に落ちた。
「あ、ありが――」
ダリアに礼を言おうとした青年の言葉は最後まで続かなかった。ダリアの刃が、彼の体を頭から真っ二つに両断したからだ。
その光景を見ていた人間達が瞳孔を開く。助けられたと思ったら、それは人を殺す悪魔だったのだから。
彼らの瞳にダリアはどう映っただろう。少なくともその表情から読みとれるのは、深い絶望の色。上から下へ。上げられては落とされる。それが命であるならば、絶望でしかない。
「アッハハハハハハハ!!」
ダリアはその表情を見て、興奮した。人間の命を摘み取るのはなんと楽しいのだろう。自分が剣をちょっと振るうだけで、呼吸をして、会話をし、表情豊かだった人間達は肉の塊に変貌してしまうのだ。
その一瞬の変化を見るのが楽しくて、彼はまた刃を振るう。
まず、トゥ・ハンド・ソードと共に回転し、周囲の人間の胴と頭を斬り裂き、血をまき散らす噴水に変える。
周囲から人間がいなくなり、人間達が背中を見せ始めると、その後を追い、頭を、胴を両断する。どこを両断しても人間は死ぬ。
時に脳漿《のうしょう》を垂れ流し、
時に臓物をまき散らし、
時に上半身と下半身を分断し、
時に首を跳ね飛ばし、壊れた水道管のように血を噴出させる。
逃げまどう人々全て、自分の近くからいなくなるか、腕が疲れるまでそれを続ける。
「あ〜……疲れた」
そうして、ダリアの動きは一度停止する。
彼の足下から周囲は人間の死体で埋め尽くされる。
白い石畳も真っ赤に染まる。
「ちょっと喉が乾いたな……。どこかで水でも……いや」
ダリアは笑った。喉を潤すものならばわざわざ水である必要は無い。そこいらにある人間の血でも十分だと判断したからだ。
彼もラーグ同様人間の血で喉を潤すことを選択した。
「さて、始めるか……」
青いポロシャツを着た厳つい風貌の亜人ゴードは、逃げまどう人間と、人間を襲うクロウギーンを見てそう言った。
平和なアルテノスの町並みはすでに崩壊を始めていた。人間を襲うクロウギーン。そのクロウギーンから逃げる人間。その人間を守るために戦う、アルテノスの騎士達。
そして、その騎士達も始末すれば、アルテノスから人間が離れていくだろう。
後はゆっくり、人間に懐柔《かいじゅう》された亜人達を自分達の味方に付ければ上出来だ。亜人だけがこの町に残り、亜人の国を作る。アルテノスと、アルテノスにこれまで暮らしていた人間は、その礎となるのだ。
人間達はゴードの横を通り、走っていく。クロウギーンは彼らを追いかけ、襲う。
ゴードは先ほどから、何かを咀嚼していた。口の中で硬い何かがゴリゴリと音を立てている。そして、逃げまどう人間めがけて口からプッっと何かを吐き出した。
瞬間、吐き出された何かが、逃げまどう人間の体を貫通した。胸元から血が流れ、成す術も無く倒れ付す。
その人間の身に何があったのかは、誰にもわからない。倒れた人を気遣う者はいるが、すでに死体と化したその人物をわざわざ運んだりはしない。
結果として倒れた人間はそのまま放置される。
それを見て、ゴードは再び口から何かを発射した。
またも倒れる人間。口から血を吐き、先ほどまで血走っていた瞳から力が抜けていく。
さらにもう１発。さらにもう１発、さらにもう１発……。
そうしているうちに、口の中で咀嚼していた何かがなくなった。逃げまどう人々に何が起こっているのかはわからない。ただ、クロウギーンの恐怖に怯えるだけだ。
ゴードはそこいらに落ちている瓦礫を適当に拾い上げ、それを口に含んだ。それを再び口の中でゴリゴリと咀嚼し、細かくなった瓦礫を弾丸として発射する。
そう、ゴードは瓦礫と化した石を弾丸として発射していたのだ。人間の肉体くらいなら易々と貫通するその威力はまさに必殺。心臓を狙って発射しているからなお必殺だ。
何より恐ろしいのは、見ている側の人間には何が起こっているのか全くわからないことだ。ゴードの攻撃はまさに弾丸を口から発射しているに等しいことだったのだ。
彼は歩きながらも、戦闘態勢に入ることなく人間を抹殺できるのだ。
「まったく人間の体は柔らかすぎる。この程度の攻撃であっさり絶命するとは……」
ゴードは心底つまらなそうに呟く。彼にとって今逃げ回っている人間など朽ち果てた石ころほどの価値もない。
なぜなら彼らは何もなし得ない。自分達亜人に噛みつくことはできても、打倒することはできない。少なくともゴードは単身の戦闘で人間に屈したことは１度としてない。
本来の姿に戻って一遍に人間共を踏みつぶしてやろうか？
一瞬そんな考えも浮かんだが、それはやめておくことにした。
自分が踏みつぶした人間の中に亜人が含まれていれば本末転倒だ。彼はあくまで亜人の未来のために、このアルテノスを破壊するのだ。
それに、こうやって人間を１人１人殺して回っていれば、人間だって勝手にアルテノスからでていく。今だって多くの人間が我先にと東西南北の港へ向かって走っていき、アルテノスからの脱出をはかっているのだから。
全ては亜人の力の証明のため。亜人こそが人間を支配するべきであることを認めさせるため。
そして、人間は不要な存在だと人間に認識させるためだ。
ゴードは瓦礫の咀嚼と発射をひたすら繰り返して人間達を殺していった。
ラーグ、ゴード、ダリアの３人によってアルテノスは炎に包まれ、人間の死体が散乱していく。
それをクロウギーンが食料として食べる。皮も内蔵も、彼らの餌となる。
これを地獄と言わずしてなんと言おう。
人間達の死体は鳥葬のようにクロウギーンに食い散らされ、地面は血で塗れていき、その臭いがあたりに漂う。やがてそれらも腐り、死臭を漂わせることになるだろう。
しかし、クロウギーンに罪はない。なぜなら、空を舞う無数のクロウギーンもまた被害者なのだから。
彼らは空を舞いながら答えるが帰ってくるはずのない問いかけをする。
なぜ、自分達がこんな目に遭っているのかと。
彼らが召還の魔法陣に封印される前は、森で暮らしていた。しかし、それを邪魔した女がいた。その名はレジー。
その女によって半ば強制的にクロウギーン達は召還の魔法陣に封印された。逆らったクロウギーンは皆悉《ことごと》く殺された。
それから１ヶ月半以上もの間、飲まず食わずの状態で封印されたクロウギーンがどのような精神状態に至ったかは考えるまでもない。
彼らの封印が解かれたとき、彼らの生物としての本能はたった１つの命令を下した。
――腹を満たしたいと。
しかし、海上国家エルノクには天然の草木など存在しない。彼らが餌にしているのは基本的に木の実と、小動物の死骸をたまに食べる程度。クロウギーンはその見た目とは裏腹にかなり小食なのだ。同時に雑食でもある。
１ヶ月半にもわたる絶食の末、己の腹を満たすことができそうな生物が人間しかいなかった場合、どのような行動に移るか想像に難くない。
だから彼らは人間を補食対象とする。自分達の腹を満たすために。それが人間にとっての地獄の始まりであることも知らずに。
|
|---|
感想はこちらにお願いします→雑談掲示板